地名というものは徐々に変化していくものです。今回はそんな消えゆく地名にスポットをあてます。
実際住んでいるまちでも、自分の住所のほかの地名って意外と知らなかったりしませんか? というわけで、今回は座間の「地名」にスポットを当ててみたいと思います。
意外と知らない地元の「地名」
座間にお住いの皆さんは、自分の住所以外の地名はご存知ですか? おそらく大半の方が、そんなこと知ったこっちゃないと思われるかと思います笑 市外から座間にいらした方ならなおさらですね。
しかしこの狭い座間にも一応ある地域を示す為の地名があります。例えば、現在の座間市内でも座間、入谷、相武台、相模が丘、栗原、広野台、新田宿、さがみ野、などなど色々な町名・字名があります。
こういった現在の地名はグーグルマップやカーナビ等の地図にも載っているので比較的聞いたことがあるかもしれませんが、一方すでに現在の公式の場からは消失してしまった、かつての地名も多くあります。そのひとつが「字(あざ)」です。
「字」とは
字(あざ)とは市町村内を小区分した地名表示で、「大字」と「小字」があります。
要するに字とは、ある場所の一定の範囲を指すもので、いわゆる「地名」のひとつです。町名表示(○○1丁目etc)や住居表示(○○1丁目1番1号etc)が実施されていない地域では、今でも「字」を用いた「地名地番」での住所が使われている地域もあります。例えば座間市内であっても、「新田宿」、「四ツ谷」、あるいは「栗原」の一部等では依然「栗原○○番地」というようなスタイルの住所が利用されています。
座間の「大字」と「小字」
字のなかには「大字」と「小字」があり、原則小字は大字のなかに含まれます。簡単に言えば「大字」の区域内のさらに細かい区域を指すのが「小字」です。
座間の大字には「座間」、「座間入谷」、「新田宿」、「四ツ谷」、「栗原」の5大字(※1)があり、このうち新田宿、四ツ谷、また栗原の一部は上述の通り現在でも字名+地番が住所として利用されています。またこの5大字は、かつての「村」の単位に相当します。
しかし大字は現在も一部残されていますが、「小字」については、登記簿上は残っていても住所の表記としては既に公式には用いられていません。具体的には、かつては「新田宿字中屋敷○○番地」という住所だったものも、今では「新田宿○○番地」と小字を省略した表記となっています。
失われた座間の「小字」
かつて座間には多くの小字がありました。画像は座間市教育委員会が作成した「座間の地名」に掲載されている小字の資料をトレースしたものです。かなり細かい小字が入り組んでいて分かりづらいですが、かつてはこれだけの地名が使われていました(画像クリックで拡大)。
なお、現在の場所と小字の関係が分かるように、レイヤー構造を保持したPDFも作ってみましたので、このページ下部のダウンロードからご利用ください。ダウンロードしたPDFを開いて、下の画像のようにレイヤーを選択すれば、小字の情報や大字の区域をざっくり確認する事が出来ます(※2)。
しかしひとつだけ注記しておきたいのは、この座間市教育委員会(※3)が作成した小字の資料も、素人の私が少し見ただけでも一部の区域や名称に違和感を覚える部分があり、本当の意味での「かつての地名」は既に大部分が失われてしまっているのかもしれません。しかし、せめて残っているものだけでも残していきたいと、私は思います。
まだ残っている「小字」のなごり
座間に限らず、まちなかには昔の地名が残っているものが結構あります。最後にその「なごり」の例をいくつか紹介したいと思います。
1.交差点名
画像は座間1丁目の「座間上宿交差点」です。かつての上宿の名前が残っています。ただ元々の古い集落なので、今でもこの辺りはわりと上宿、中宿、下宿、とも日常的に呼ばれています。上宿以外でも、栗原の方に国道246号線の「西原交差点」等も残されています。
2.バス停名
画像は座間駅近くにある神奈中の「皆原バス停」。バス停名は存外変更の手続きが大変らしく、昔の名前がそのまま使われていることが多そうです。
3.橋の名前
河川橋、陸橋、歩道橋問わず、意外と昔の地名が残っているのが「橋」です。上の画像は相模原市新戸と座間1丁目の境にある「六反橋」。その他にも「小池跨道橋」、「芹沢陸橋」など探してみると結構見つかります。
4.公民館等の建物
画像は座間1丁目の「中宿公民館」です。地域によってまちまちですが、自治会や公民館は昔の名前をそのまま使っている場合があります。また、公共物に限らず古いアパート等にもかつての地名が使われている場合があります。
この他にも普段の生活で何気なく使っている言葉が昔の地名だったりすることもあります。例えば、私には「アブラメのおじさん」という親戚がいるのですが、小さいころは何か油でギトギトしているおじさんなのかと勝手に想像していましたが(失礼)、どうやら「アブラメ」は座間小学校近くの小字「油面」のことだと最近気づきました笑
終わりに
さて今回の「座間の地名特集」はいかがだったでしょうか。毎度おなじみの絶望的な文才の欠如の為に、お見苦しい駄文だらけとなってしまい大変申し訳ありません。
しかし私にとって、この昔の地名というのは、今は亡き祖父や祖母が使っていたものでもあり、改めて調べてみると何だか懐かしい気持ちにもなりました。思えば確かに、祖父が今の相武台の辺りを「ナカッパラ」と呼んでいたのを思い出しました。
また、まちなかを探してみると意外とかつての地名のなごりを見つけることができて、何だか先人の記憶を少しだけ垣間見られたようで面白かったです。
是非皆さんも、座間に限らず自分のまちを歩いて、昔の地名をさがしてみてはいかがでしょうか。住み慣れた町でも別の一面が見えてくるかもしれません。ちなみに、本格的に調べるなら、図書館や教育委員会の文化財担当課を訪れてみると手がかりがありそうです。
でも、何だかんだ一番良い方法は、おじいさんやおばあさん、長寿の方の話を直接聴くことなのかもしれません。そうすれば、ほんの僅かでもその人の生の記憶が、自分のなかで生き続けることになります。また、ふと何かを訊きたいと思った時には、その人はもういなかったりします。是非、まだ訊き出せることがあるなら、徹底的に聴き出してあげてください(笑
ではでは、ぐーたらと最後までお付き合いいただきありがとうございました。以上、今回は歴史散策もどきなことをしてみたおににぎなのでした!
ダウンロード
座間字概略図(PDF)
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※注釈※
※1 谷戸山公園北側にある「明王」も「大字」のひとつですが、座間のそもそもの大字ではなく、昭和30年代の民間開発での区画整理が施行された際に新設されたものと思われます。また、座間や座間入谷等の大字も、川原の方の田畑などの地番としては一部現在でも残っています。
※2 各境界線は精度を保証するものではありません。あくまでも参考にご利用ください。
※3 表記されている字名は昭和3年刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」を基にしています。