理想の家について考える

家を建てるならどんなのがいいか、ちょっと妄想してみます。




 

昨今、古い家がまだ多く残る我が家の近所でも、家の建替えがちょこちょこある。特に最近、大通りに面した古い家があったのだが、いよいよ建替えられて小奇麗になってしまった。

個人的には、前の古い家も嫌いじゃなかった。また立派な植木や裏にあった大きな蔵まで壊してしまったので、とても勿体ない話だと思う。何より、先祖代々引き継いできた蔵を自分の代でぶっ壊せるとは、なかなか肝が据わっているとも思う(笑

とは言っても、おそらく隙間風が入ったり、虫が出たりと、何かと不便だったのだろう。また、家は完全に「自分の空間」にしたかったのかもしれない。

実際、人によって考え方は違うだろうが、家は自分の世界を体現させられる大きな手段のひとつなのだろう。例えば、地中海の潮風とシエスタに憧れた白亜の砂壁や、純和風のわびさびを重んじた厳かな門構え、あるいはモダンでアーティスティックな生活空間、などなど、家はそれを建てる人の好みがよく反映される(最近は家も規格化されているので一概に言えることではないが。)

水飲み百姓の私は、日々そんなことを夢想する余裕すらないが、ゆくゆくは自分の家が欲しい。むしろ仕事がやりにくいので早急に欲しい(切実)

 

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そして、どうせ家を建てるのなら死ぬまで住めるものを建てたい。私は畳と縁側が好きなので、これだけは欠かせない。またどうせ贅沢をいうなら、我が家のお稲荷様を鎮座させる為、そしてお昼寝・日向ぼっこ用にそこそこ広い中庭も欲しい。

しかし、この2点だけでもかなり贅沢な家であると同時に、びっくりな資金が必要になることは間違いない。また、私の引きこもり根暗体質が溢れだした家になりそうである。

縁側の例

お風呂も広い方がよい。死ぬまで住むことを考えるなら、縁側は譲らないが、段差もなるべく少なくした方がいいだろう。この時点で一般的な注文住宅の規模では実現不可能なのは明白だ。はたして、一体いくら必要になるのか……。

しかし、それでも私の理想の家は、故郷の土の上に必ず建つ。

家族制度の崩壊が叫ばれる昨今であるが、強制こそしないが、やはり帰る場所があるというのは幸せなことではないだろうか。親戚が家に集まって賑やかにしている姿は子供ころのからずっと見てきたし、これからもその風景は失いたくない。

もう「家」にこだわるのは時代錯誤かもしれないが、消えゆくものであるからこそ、せめて私はそれを守る。それは今の私へ脈々と繋がる先祖累代への感謝の印、という大げさなものではないが、私がこの世に生きた汚い爪痕を後世に残してやりたいという、屁にも満たない野望なのである。

なので、最後にこの場を借りて念じておきたいと思う。

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以上、明日も農作業とお仕事がんばります!