猫に学ぶストレス対策

嫌がらせクレーマー、ゴミ出しのルールを守らない隣人…小さなストレスは常に日常と背中合わせ。そんなストレス社会を生きる術を「猫の生き方」から考えてみました。




猫というのは一日の大半を寝て過ごす。のんびりゆるく生きる彼らを見ていると「猫になりたい」と思う人も中にはいるのではないだろうか。ただ、見ていると、彼らの世界にもそれなりの苦労があるようだ。

我が家にも、ミイという猫がいる。体格は小柄だけども力が強く、ちびの暴れん坊将軍みたいな猫だ。
日々、どこからか拾ってきた謎の紐を延々と追い回したり、いきなり私の背中に飛び乗ってきたり、一緒に住んでいる黒もじゃのモップのような猫「クウ」の尻尾にじゃれついて、お返しに猫パンチを喰らったり……。とにかく落ち着きがない。

クウ(手前)にちょっかいを出すミイ(奥)

クウ(手前)にちょっかいを出すミイ(奥)

ミイは、そんなイタズラばかりするので、当然人間にも、またクウにもよく怒られている。
特に大好きなクウに怒られると少し反省するのか、しばらくはシュンとしている。けれど、数分もすると「まあいいか!」と再び黒もじゃの尻尾に飛びかかり、また殴られる……なんてことを毎日飽きることなく繰り返している。おそらく、彼は阿呆なのだろう。

しかし、この「まあいいか」という気持ちの切り替えは、人間の生活においても大切なのではないだろうか。

冒頭の通り、人間社会には多くのストレスが溢れている。例えば、仕事先の営業の態度が悪いだとか、クレーマーが煩いだとか、近所のババアがゴミ出しのルールを守らないだとか、小さなストレスの種は常に日常のなかへばら撒かれている。

けれど、私たちが普段感じるそんなストレスの多くは、実は「どうでもいいこと」なのかもしれない。

営業の態度が悪いと腹は立つが、商談を進めるうえでは相手の人間性以外は特に問題はない。ウザいクレーマーにはイライラするが、別にクレーマーとは友達でもないし、まじめに話を聴く価値もない。近所の婆が真夜中に棄てた生ごみが朝カラスに荒らされて自分が掃除する羽目になっても、まあ死ぬわけではない。

と、そんな聖人のように受け流せれば一番いいが、無論、現実はそうはうまくはいかないだろう。

態度の悪い営業には消火器でもぶっかけてやりたくなるし、要領を得ないクレーマーは太めの針と糸で口をゆっくり縫い合わせてやりたくなるし、ゴミだし違反ババアはなるべく無残に死んで薄汚い肉片と化して欲しい、とつい請い願ってしまう。

しかしそんな制裁行為を実行に移せば、方々から怒られるだけでなく自分の人間性も疑われ兼ねない。それは心底心外であるし、結果的にストレスを余計に抱える羽目となって本末転倒である。ならどうしたらいいのだろうか。

そんな時は「まあいいか」と思ってみるといいかもしれない。

少し話は変わるが、人間には幸いにも「忘却」と「思い込み」という能力がある。
ひとつめの「忘却」は、一見デメリットに思えるかもしれないが、「嫌なこと」や「どうでもいいこと」を、ちょっとずつ忘れていくという精神衛生を保つための立派な能力といえる。それこそ逆に「忘れることができない」病さえもある。

そして、もうひとつの「思い込み」は、人間は知らず知らずの内に暗示にかかるというもの。例えば個人差はあるが、試しに目を閉じて両手を広げ「手の平が暖かい」とずっと念じていると、徐々に本当に暖かくなってくる。これは心理学でも有名な効果のひとつだ。

腹が煮えくり返ってしょうがないときは、この忘却と思い込みのふたつの効果を利用すると良いだろう。

具体的にどうするかと言うと、とりあえず「まあいいか」と心の中で何度も唱えてみるのだ。するとちょっと本当に「まあいいか」と思えてくる……かもしれない。
ちなみにこの「思い込み」というのは、繰り返せば繰り返すほど効果があり、その主な例として挙げられるのは宗教だろう。拝めば拝むほど、祈れば祈るほど、教祖や教義がありがたいものに思えてきて信心深くなっていく。某新興宗教団体の類は、広くこの思い込みと集団心理等を組み合わせて、信者に「使命」を植え付けている。

故に、「まあいいか」と強く思い込むほど、それだけ効果は強いものとなる。

ただし、あまり何でもかんでも「まあいいか」でストレスを紛らわせると、性格も歪むし精神衛生上よろしくない。自らをひしと抱きしめてよしよししてやった方がいい時もあれば、あるいは解決できる問題には、勇気を以て立ち向かわなければならない時もあるだろう。

しかし、悩んでもしょうがないことは一旦棚上げしておけばよいのではないだろうか。

どうしようもないことでアレコレ余計な気を揉むよりも「まあいいか」と切り捨てて、本を読んでみたり、文章や絵を書いてみたり、何か運動をしてみたり、出かけてみたり等、他のことを考えた方がよっぽど堅実だし何より気が紛れる。
もしかしたら、ひょんなことから事態が好転したり、解決の糸口を見つけ出す可能性もある。要は、一度頭をリフレッシュさせてみるということだ。

試しに今振り返ってみて欲しいのだが、もちろん未精算のこともあるだろうが、過去の大体のことは既に「まあいいか」で済んでいるのではないだろうか。
あの時はあんなに怒っていた・悩んでいたのに、今はどうでもいい、あるいは笑い話になっていることもあるのでは。

要するにそれはみんな「小さいこと」、あるいは「取るに足らないこと」なのだ。ストレスの多くは時間の経過とともに風化し「忘却」されていく。また、気づかないかもしれないが、落ち葉が腐葉土となるように過去の悲しい経験等の様々な感情も、どこかで自分の一部として養分になっているものである。

もちろん、どうしても立ち直れなさそうことは、私の軽薄な脳みそで考えただけでも少なからずある。
その瞬間に立ち会わなければならなくなった時「まあいいか」では当分済まないだろう。あるいは死ぬまで。
でも、そういう重篤な事態はやたらめった起こるものではないし、起こられたら困る(笑 そういう絶対的な感情の安売りは、私はしたくない。

なので、せめて普段の生活で起こる「小さなストレス」は、なるべく「まあいいか」のスタイルで受け流していきたいなーと、こっそり妄想しているところなのです。
散々偉そうなことを言ってしまいましたが、このコラムで言っている方法に限らず、皆さんも猫の気持ちで日々の小さなこととテキトーに向き合い、このストレス社会を生きるヒントとしてみてはどうでしょうか。

以上、第1回ことごとコラムは「猫に学ぶストレス対策」でした。次回はまた妄想しつつ何か書きます。駄文乱筆失礼いたしましたm(_ _)m